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日本遺産のまち尾道

ページID:0072155 更新日:2024年4月10日更新 印刷ページ表示

日本遺産のまち尾道

尾道市は全国最多3つの日本遺産に認定されています。

それぞれの魅力をお届けするため、各種SNSでの情報発信も行っておりますので、「いいね」や「フォロー」よろしくお願いします。

また、まちを歩く中で見つけた魅力を「#箱庭的都市」や「#cocoronomichi」などのハッシュタグを使い、教えてください。

日本遺産ストーリー

日本遺産とは

日本遺産とは

詳しくは日本遺産ポータルサイト<外部リンク>をご覧ください。

 

「尾道水道が紡いだ中世からの箱庭的都市」

尾道三山と対岸の島に囲まれた尾道は、町の中心を通る「海の川」とも言うべき尾道水道の恵みによって、中世の開港以来、瀬戸内随一の良港として繁栄し、人・もの・財が集積しました。

その結果、尾道三山と尾道水道の間の限られた生活空間に多くの寺社や庭園、住宅が造られ、それらを結ぶ入り組んだ路地・坂道とともに中世から近代の趣を今に残す箱庭的都市が生み出されました。

迷路に迷い込んだかのような路地や、坂道を抜けた先に突如として広がる風景は、限られた空間ながら実に様々な顔を見せ、今も昔も多くの人を惹きつけてやみません。

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「日本最大の海賊の本拠地:芸予諸島-よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶-」

戦国時代、宣教師ルイス・フロイスをして“日本最大の海賊”と言わしめた「村上海賊」“Murakami KAIZOKU”。

理不尽に船を襲い、金品を略奪する「海賊」(パイレーツ)とは対照的に、村上海賊は掟に従って航海の安全を保障し、瀬戸内海の交易・流通の秩序を支える海上活動を生業としました。

その本拠地「芸予諸島」には、活動拠点として築いた「海城」群など、海賊たちの記憶が色濃く残っています。

尾道・今治をつなぐ芸予諸島をゆけば、急流が渦巻くこの地の利を活かし、中世の瀬戸内海航路を支配した村上海賊の生きた姿を現代において体感できます。

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「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」

日本海や瀬戸内海沿岸には、山を風景の一部に取り込む港町が点々とみられます。

そこには、港に通じる小路が随所に走り、通りには広大な商家や豪壮な船主屋敷が建っています。

また、社寺には奉納された船の絵馬や模型が残り、京など遠方に起源がある祭礼が行われ、節回しの似た民謡が唄われています。

これらの港町は、荒波を越え、動く総合商社として巨万の富を生み、各地に繁栄をもたらした北前船の寄港地・船主集落で、時を重ねて彩られた異空間として今も人々を惹きつけてやみません。

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